『書く』とは?
どうもそーたです。
今日もコラムです。
みなさん、いつもメールなどで『書く』ことをしていますよね。
一種のアップデート。
では、改めてどのように『書く』ことをしているのでしょうか?
読者の中に『書く』のが苦手な人がいるかと思います。
そのような人は単に逆の『読む』インプットに行っているあまり慣れていないだけではないでしょうか。
そんなあなたに『書く』ことを伝授していこうかと。
結論から言えば、”考えるな、滑ろ” ですw
書くことは一種の考える行為なんですけど、実は考えるようで考えないそんな感覚で書いていくほうがいいのです。
たとえば日常生活で、人は歩きますよね。
『歩く』行為自体、ロボットみたいに右行けとかまっすぐ行けとか考えながら歩いていくわけではないですよね。
まず、目的地がある。
そこに向かって歩く。
同じように『書く』ことにおいても、一種のゴールに向かって文字と文字、文章と文章を積み重ねて、テーマを完成させることを目的としてひとつの全体を作っていくわけです。
また、パソコンでキーボード叩くときも同じです。
ブラインドタッチやるのですが、キーボードを見ながらだと遅くなって思考の整理も遅くなり、ゴールに向かいづらいのです。
それからパソコンから目を離しながらキーボード叩くのも上手くいかないですね。
やはり画面を見ながら、その先に相手に何を伝えたいのか気持ちを込めて行った方が、書けますし、結果的にキーボードが叩け、ゴールに行けるのです。
もちろんそれなりにロジックは必要なのですけど、どうやって書こうか、どう上手く書こうかについて考えすぎると、ゴールからどんどんブレていくので、逆に固くなったり、論理の破綻などで何を言っているのか伝えたいのかが分からなくなります。
なので、感覚とロジックが両立して初めて『書く』ことができます。
まぁわかりやすく言えば、”考えるようで考えない” 、そんなところでしょうかね。
まず、手指を動かします。
文章を先に考えるのではないのです。
ましてやさっきも伝えたように、どう上手く書こうかなんてこと考えたらますます書けなくなっちゃいますw
このように手指をいろいろ動かしながら、いろいろ考えを練っていくのです。
いろいろ練っていっている間、『書く』頭を温めていくのです。
人によって程度こそすれありますが、僕はいつもスロースターターなのですw
スロースターターらしく少しずつ少しずつ温めていきます。
どんどん文字と文字をつなげていくうちに、思考がパーっと開いていくのです。
外見では手指を動かしているだけにすぎませんが、思考が書くのです。
思考が書くということは、よりいい文章を書きたいというのを求めるとすれば、それは思考のクオリティを上げるしかありません。
知識量はもちろんですが、まず身近なところからなぜ?なぜ?と考えていくところから始めてみましょう。
知識にこだわる必要はありません。
むしろ感性を磨くのです。
感性とロジックは両立しないと中に考えていると思いますが、僕は両立していると考えています。
感性の延長先にロジックがあるのです。
あるものを見つけて、おっこれは何だろうと好奇心の感情が湧いてきますよね。
または答えが先に閃くことがありますよね。
なぜこうなったのかプロセスが吹っ飛んで。
そこからいろいろ観察していきますよね。
そこから頭の中で整理がついて、誰か人に伝えるときに初めてロジックが組み立てられるのです。
『書く』こと自体も同じようなものなのです。
最近では薄れてきましたが、数年前は本のタイトルで『~する技術』というのがありましたよね。
そのようなテクニックは、あくまでも上澄みにすぎないのです。
まずは思考のクオリティを上げて、思考の軸を太くしていく。
そこから感性とロジックの両輪でスパイラルを上げて、思考のクオリティと軸の太さに還元していく、その繰り返しなイメージです。
そして、誰かに伝える形で『書く』となると、”考えるようで考えない”感じで、まずは相手に何かを伝えたいという気持ちを持ちます。
こうやって目的ができ、『書く』行為を手段として、内容を伝える一種のゴールに向かうことになるのです。
ちなみに ”考えるようで考えない” ですが、目を半目にして頭を真っ白にクリアする感じで行ってみることです。
そこから思考が湧くのです。
わかりましたでしょうか?w
なんとなくわかっただけでもいいのです。
これができたら、日本語だけでなく英語などあらゆる言語にも応用できます。
Try it out!