読書感想文は時代遅れ
どうもそーたです。
前回記事(読書離れは成長のチャンス)で義務感についてちょっと言及しましたが、そのことで思い出したことがありました。
義務教育を受けている人、かつて受けていた人なら学校でよくやるじゃないですか。
『読書感想文』
あれは最悪ですねぇ。
しかも時代遅れ。
学校側に強制された形であり、生徒を外から評価するための道具に成り下がっているのですから。
学校にとって ”道徳的” に正しいひとつの答えや考え方を生徒に求め、権威や権力を強化しているだけにすぎないのです。
感想が感想じゃないという。
北朝鮮の独裁政権下の教育とは本質的に変わらないはずです。
成績表と内申だけでないんですよ。
本当に面倒くさいものです。
実際僕も小学生のときにやらされた形だったので分かりますが、全然楽しくありませんでしたね。
特に名探偵コナンの推理マンガから推理がどれだけ素晴らしいか書いてもマンガだからという理由でスルーされました。
その翌年は、アメリカの歴代大統領 ワシントンの伝記を感想に書いたら学年トップで大賞を取りました。
これで、学校側の愚の骨頂が垣間みえましたね。
あれね、学校のセンセー(というか本当の意味で先生と呼べるような人を見たことないし、あくまでも公務員としての教員なだけですが)たちが逆に喜びそうなことを予想してやったわけですよ。
別に自分が好きで読みたかったからやったわけではないのです。
逆にマンガの方が好きだから、これを読書感想文にしたかったんですけどねぇ。
ほらワシントンと桜の木の伝説の話があるじゃないですか。
この画像をクリックすると引用先のワシントンと桜の樹の話についてのサイトにとびます
今になって作り話ということがわかりましたがw、どれだけ正直になることが大事なのか "道徳的に" いろいろ書いてきたわけです。
ところが、学校側のいわゆる大人の事情というやつはどうでしょうかねぇ。
どれだけこの人が正直だったのか褒め殺しして、たくさんの教員たちが勝手に感動して大賞を取らせざるをえなくなったわけですよw
何のための読書やら。。。
だからこそ評価の道具にすり替わっているのです。
読書って、単に文字だけの本を読むことなのでしょうか。
マンガを読むことも読書の一つに入るわけですよ。
もし、教育現場がマンガを読むことで頭が悪くなるのであれば、どういう根拠から来るのか示してほしいですね。
マンガというのは、実はメリットだらけなのです。
①視覚的に物事を追いやすい
②頭の中を整理しやすい
③ロジックを鍛えられる
④キャラクターの表情などから心理描写も読み取れやすい
⑤セリフに漢字があって、ルビも振られているのが多いので、読解力が上がる←単に小説といった文字だけの本が唯一知識量が増えるわけではないのです
⑥SFとマンガの相性がいい←SFを通して科学へ親近感が湧いたり、マンガを着想に未来の姿を想像しやすいではないでしょうか
⑦人によって視覚優位や聴覚優位など向き不向きがあって、視覚優位には有利←ここが一番のポイント。今の学校教育は、聴覚優位だから見落としがち。
こういったメリットがたくさんあるわけです。
逆にもし、たとえばドラえもんに出てくるジャイアンのような(笑)乱暴な言葉遣いを真似てしまう恐れがあるとデメリットを過大評価してしまったとしたら、問題ありですね。
デメリットがあるから、マンガを読ませない。
メリットの方が大きいのに排除してしまう。
たとえば、身近な環境で見れば、ガス火とか包丁とかありますよね。
これもリスクがつきものですが、だからと言って全て排除してしまったらどうなるのでしょうか。
生活が不便になるのです。
同じように、読書で文字だけの本に限らせた方が逆に心が乏しくなり、知識量が増えないのではないでしょうか。
いや、そもそも学校側の心と知識が乏しいことで、見識が狭いところからきているのか。
『読書感想文』が学校側の心と知識、見解を乏しくさせているのか、あるいは逆なのか。
まぁこれは鶏か卵のどちらが先かと似たようなもんですね。
批判能力を徹底的に上げて、学校教育の権威化と権力を無力化していった方が民主主義の観点で世の中のためになるのではないでしょうか。
これで時代がより良い方へ変わるのです。