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21世紀の考え方ダイバーシティはどこからきてどこへ向かうのか

どうも、そーたです。

常々ながらいつもこう考えているのです。

『多様性なくして民主主義はありえない』

自分のつくった格言なのですが、なぜなのかを今から書きます。

ここ数年間、世間でダイバーシティが謳われるようになりましたよね。

障害者、人種、LGBTといった社会的マイノリティを社会の辺境に追いやるのではなくて、中に入れて多様性を作ろうという意味です。

そして、パラダイム(その時代の特徴的な考え方)の視点から見ても、今の時代はダイバーシティそのものと見ています。

また、民主主義の観点からも新しい民主主義のあり方として、ダイバーシティの観点は必要不可欠な存在になります。

ダイバーシティの考え方は、30年以上前から海外にあったらしいです。

そこからいつの間にかLGBTとかマイノリティの存在の認識が日本に広まりつつありになってますよね。

なぜこのような現象が起きたのかというと、私見で推測してみました。

おそらく2001年同時多発テロがきっかけで、アメリカが文化のソフトパワーと軍事のハードパワーで世界を席巻していたところをイスラム教の過激主義グループ タリバンがテロの形でぶつかり、そこから偏見と恐怖でキリスト教VSイスラム教の宗教対立構図が出来上がり、ヨーロッパにも飛び火が。

その飛び火から多文化共生をお互いの中で認め合おうという風潮が生まれ、人種問題・障害者問題・LGBT問題と飛び火し、相互作用で絡み合って膨れ上がり、アメリカ・ヨーロッパからネット空間を通して世界的な潮流になり、日本にも来たのではないかと。

地政学の見方から行けば見えやすいです。

そんな最中、自分も耳が聞こえない障害者当事者なので、ダイバーシティという考え方に敏感なのです。

そこで井出英策氏という財政学者は今、社会時事の世界、いわゆる有識者の世界で注目されているらしいです。

どのような学者かというと、アベノミクスは高度経済成長期に戻りたがっているが、もうおしまいで、それに代わる新しい経済モデルを民進党と手を組んで国民が夢を託す『もうひとつの選択肢』をつくろうとしている学者です。

この記事の中で印象に残った文章を引用します。

・新しい社会モデルは「自己責任」の社会ではなく「分かち合い・満たし合い」の社会に変える。貧しい人だけではなく、あらゆる人びとのくらしを保障する。財政を通じた「再分配」でこれを行う。「オール・フォー・オール」が井手理論の核心だ。

井出さんの作ったことば『格差放置社会』ですが、去年の夏に起こった悲惨な事件「やまゆり事件」を例にとり、ダイバーシティの思想が見えてきています。

そのダイバーシティについて、本人のブログから興味深い記事を見つけました。

この記事の中で印象に残った文章が。

引用:ダイバーシティ(多様性)は間違いなく21世紀を支えるキー概念だ。でも、共通の利害関係をもてず、価値観を分かち合うことのできない国民・社会のなかで、ダイバーシティだけを叫び続ければどうなるんだろう。個人と個人に細かく分断され、お互いが鋭く対立し合う、生きづらい社会が生まれるんじゃないだろうか。先の障がい者の問題になぞらえるなら、身体/精神/知的、それぞれの障がい者の多様性を認めたとしても、彼らが相互に対立し合う社会であっては意味がない、ということだ。ダイバーシティを「放置することの言いわけ」にしてはいかんよね。

うーん、ダイバーシティは間違いなく21世紀を支えるキー概念か。

一方、この文章から気づいたことがありました。

先の障がい者の問題になぞらえるなら、身体/精神/知的、それぞれの障がい者の多様性を認めたとしても、彼らが相互に対立し合う社会であっては意味がない

と。

これを言うなら、先ほどの記事でアベノミクスへの対抗軸としての経済思想 ユニバーサリズム(普遍主義)の考え方をご本人はお持ちなのですが、矛盾があるとみています。

ダイバーシティの中にいろいろな考え方があるのですが、特にユニバーサルデザイン。

これは一見全ての人に通じそうでいい感じです。

しかし。

このデザインの考え方、わざわざ対抗しなくても普遍が通用しなくなってくるわけです。

たとえば、見えない人の使うものを聞こえない人が使い、逆のケースはどうなるのでしょうか。

具体的には本の読み上げ装置を聞こえない人が使い、手話通訳を見えない人が使うようなケースです。

ユニバーサルデザイン、ありえないでしょ。

そこでそのデザインに代わるデザインを提案します。

それは、インクルーシブデザイン

インクルーシブデザインの大きなヒントはこの記事です。

インクルーシブというのは、インクルーシブ教育といってもともと教育の分野から出てきたのですが、平たく言えば、つつみ込む感じ。

ただ、つつみ込むだけでなく、社会マイノリティの本人たちが積極的に自分の問題として参加することが最大のポイントです。

ユニバーサルデザインは、ただ自分でない他のところから与えられるだけなんです。

だからこそ違う障害同士が対抗しなくても普遍が通用しなくなるわけなんですよ。

政治だって、お任せ民主主義でいつまで経っても人々の暮らしから国が良くなりませんよね。

だったら、市民ひとりひとりが当事者となって参加して、政治を変え、経済のあり方を変える。

これはもう障害者問題とか社会マイノリティの問題でなくなり、一般市民ひとりひとりの問題にもなってくるのではないでしょうか。

インクルーシブデザインが本当の意味でダイバーシティにつながり、本当の意味で民主主義にもつながってくるのです。

そして数十年後には人工知能がさらに発達し、100年先には人工知能が自我を持ち、人のように感情を持つと言われています。

そんな時代がやってきたとき、人類は人工知能搭載のロボットが人権を求めて衝突が起きるかもしれません。(人工知能については、先日の記事 脳みそとコンピューターが繋がる時代がもうすでに…?にて)

それでもインクルーシブデザインの考え方が通用するはずです。

いや、100年先どころが200年、500年、1000年先、いずれどんな時代でも通用するのではないでしょうか。


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