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もうそろそろプラトンの洞窟から出ようぜ!

どうもそーたです。

今日は哲学の話をぼちぼちしましょうかね。

哲学といっても、学者さんがガチで研究するような小難しい話ではなくて、初歩中の初歩者が哲学の歴史に嗜む程度です。

哲学の始まりは古代ギリシャからですよね。

英語で Philosophy、当時のギリシャの言葉で知(sophy)を愛する(philo)ってやつです。

日本語に直せば、愛智。

ちなみに愛智といえば県の方の愛知がありますが、これは由来が万葉集からきていると言われていて、違いますがw

で、愛智、哲学。

哲学の初歩といえば、イデアとかロゴスとかいろいろあります。

その中で哲学に初めて触れる人でも面白いと思えそうなのが、”プラトンの洞窟” です。

別名”洞窟の比喩”でもあります。

これはもともとプラトンのイデアという考え方を基本に寓話化したようなものです。

まぁ下のYouTubeの粘土ムービーをもとに簡単に要約すれば、

The Cave: An Adaptation of Plato's Allegory in Clay

(字幕アイコンをクリックすると簡単な英語字幕が出ます。ただし、日本語はありません。)

①洞窟のなかの囚人たちが子供のときから手足をチェーンで縛られ、背中の後ろの方にある洞窟の外から燃やされた松明の火を見ることができません。

②そんな彼らは、松明の火との間の人々(服を運ぶ商人)と動物がこだまで響くとともに、洞窟の壁に影絵として映し出されているのを見て育ち、いつの間にかそれを本物と思い込むようになる。

③ある日、ある人が洞窟の外から中に入り、縛られっぱなしの囚人たちの一人を解放し、外に連れて行った。

④連れて行ってもらった人は、生まれて初めて洞窟の外を見て、今まで想像もしていなかった景観に感動する。

⑤感動した本人は、洞窟の中にいる囚人の友人たちに感動を分かち合いたくて改めて戻った。

⑥ところが、感動を分かち合おうとした本人は、松明の火と縛られている囚人たちの間に立ち、歪められたこだまとグロテスクな影だけが映し出されてしまった。

⑦こだまと影絵だけに反応した囚人たちは、彼が外がいかに素晴らしいか説得しても理解できなかった。

こんなかんじでしょうか。

おもしろいですね、このストーリー。

さて、読者の皆さんはこのストーリーからどんなことを連想しましたか?

僕はまず、メディアリテラシーでした。

メディアの出す記事などの情報を読み解く力ね。

もし、自分が洞窟の中の囚人だとすれば、誰か真実を知っていることを言ったとしても、学校で教科書などの範囲で教えられたことだけや大手メディアの出す新聞やニュースだけが全て真実と思い込んでしまうことでしょう。

果たしてこれでいいのでしょうか。

たとえば、福島の原発を巡る放射能の問題や、日本とアメリカの本当の関係(特に日本会議や日米合同委員会)、太平洋戦争や明治維新を巡る歴史の真実など政府がひたすら公にしようとしない点。

一方では、いま世間でトランプが大統領になったことがきっかけでフェイクニュースが問題視されている点も。

または今に始まったことではないですが、SNSで広まっているイルミナティなどあらゆる陰謀論。

ほかにもいろいろあると思いますが。

これだけ言えることは、ほかの誰かが言ったことを100%鵜呑みにする必要はなく、かといって100%ありえないと情報を全て切り捨てる必要もないということです。

ネット空間を飛び回る大量の情報は玉石混交なんですよ。

そして、どれが真実でどれがデマなのかを見極めるのは自分しかありません。

ではどうやって見極めるのでしょうか。

今の時点で考えられ、誰でもできる範囲では、

・複数の新聞(ペーパーだったりネットだったりしてもいい)を購入して、あるトピックについて照らし合わせて、隠れた情報を引き出す

・新聞やネット情報だけに頼らず、直接本屋に足を運んで単行本も活用する

・国会図書館を活用する

・グーグルで調べるときは、検索上位だけでなく、次のページを10回ほどめくって確認する

・ググったサイト自体、筆者が誰なのかが明確になっていることなど全体的に信用できるかどうかチェック

・記事や引用先の記事の日付から情報が新しいかどうか確認

・信頼できるジャーナリスト(時には大手メディアよりも個人のほうが良かったりする)などを探し当て、個人的な情報ルートを確保する

・それでも真実かどうかわからない場合はしばらくの間静観して整理がつくのを待つ

こんな感じでしょうか。

ただ、これだけ注意してください。

仮に真実を知ったとしても、周囲には慎重に考えつつ時期を見計らったり、きちんとしたエビデンスを揃えてからにすることをお勧めします。

また、伝える時は「絶対に信じろ」と言う必要はありません。

信じるかどうか、真実かどうかを見極めるのは、最終的には知った本人次第で、本人もきちんと確認すべきではないでしょうか。

そうでなければ、特に大震災といった大災害など大規模な出来事が起こったとき、知らないうちにデマに担がされ、第二次第三次の災害を呼び寄せてしまうからです。

まぁ今まで学校や大手メディアでは教えられてこなかったことを知ることはいいことでむしろ大切と考えています。

特に国民主権をきちんと機能させるため。

地域社会の場合、学校がまともに運営できているかPTAの確認で、国の場合は三権分立がしっかり機能しているか、憲法による運用もきちんと行われているかチェックに欠かせないので。

では、読者の皆さんに聞きます。

情報の束縛から解放されて洞窟の外に出たいでしょうか、それともいつまでもこだまと影絵だけが真実と思い込んでいる洞窟の中で縛られっぱなしの囚人のように一生を過ごしたいでしょうか 笑

また、メディアリテラシーだけでなく、他のあらゆる面でも解釈できるところがあると思いますので、そこも考えるといいでしょう。


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